what do i get out of this?




モノの「耐久期間」 (2001.2.27.)

 昔は、気に入った映画なりマンガなりがあると、しばらくの間は毎日のようにそれを繰り返し観たり読んだりしていたものでした。ストーリーや台詞をほとんど覚えてしまっていても、観たり読んだりする度に楽しかった記憶があります。小学生の頃は、マンガでは『ドラえもん』を始めとする藤子不二雄の作品をそれこそ本当に毎日読んでいたし、ゲームも『スーパーマリオブラザーズ』『ドルアーガの塔』を何回クリアしても飽きずにやってました。映画は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)『スターファイター』(1984年)『天空の城ラピュタ』(1986年)の三本。それぞれ少しずつ時期が違いますが、テレビで放映されたものを自宅のベータデッキで録画して、何度も繰り返して本当によく観てました。『天空の城ラピュタ』日本テレビでの放映を録画して観ていたのですが、映画の本編が始まる前にどういう訳かC.W.ニコルが出て来て映画の推薦をしていたのを覚えています。ちなみに『スターファイター』は他の二本に比べるとややマイナーだと思われるので少し説明すると、原題は"THE LAST STARFIGHTER"といって、アメリカのトレーラーハウスに住むテレビゲーム好きの兄ちゃんが、ある日トレーラーハウス村の片隅に突然置かれていたシューティングゲームを高得点でクリアしたところ、いきなり宇宙人がやって来て「スターファイター」としてスカウトされ、「連合軍」に参加して宇宙戦争を戦い最終的にはヒーローになるというB級の香りがプンプンのSF映画です。今考えるとかなりとんでもない妄想チックなストーリーなのですが、宇宙に行ってしまう主人公の身代わりとして置いていかれる主人公そっくりのアンドロイド(要するに『パーマン』のコピーロボットですな)が起こすちょっとした騒動とか、笑えるシーンもあってかなり面白かったんですよ。レンタルビデオ屋にはもしかしたらあるかも知れないので、それ系(?)が好きな人にはお勧めです。そして、中学生になってLDプレーヤーを買ってからは、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(1984年)の二本。この二本は初めて買ったLDソフトなのですが、LDの高画質・高音質への感動と、いくら観ても画質が劣化しないという安心感もあって、中学生時代には本当にしょっちゅう観てました。

 こんな風に、昔は映画なりマンガなりを消費しても、比較的短期間でまた同じものを観たくなったり読みたくなったりしていたわけです。そして、かなりの長期間に渡って同じものを繰り返し消費し続けていました。それで楽しかったのです。しかし、高校生になった頃から、次第に同じものでは飽きるようになって来ました。つまり、一度観たり読んだりしたものは、それが非常に面白いものであっても、再び消費したくなるまでの間隔が長くなって来たのです。言わば、僕にとっての映画やマンガ等の「耐久期間」が短くなって、次々に別のものを消費しなければ楽しめなくなってしまったわけです。これはこれで、いろいろなモノを消費する方向に向かうことになったので良かったのですが、同じものをじっくりと消費して楽しむというのも安上がり且つ時には必要な態度であるようにも思えるので、少し残念な気もします。

 しかし、何故「耐久期間」は短くなったのでしょうか。昔の僕は記憶力が悪くて、話の筋などをすぐ忘れていたのでしょうか。それなら話は簡単ですが、そうではありません。『ドラえもん』の「ひみつ道具」の名前とか、『ドルアーガの塔』の各階の宝箱の出し方とか、細かいことを沢山覚えていた小学生の頃の僕の記憶力は、むしろ今よりも良かったはずです。では何が原因なのでしょう。何が小学生の頃と現在とでは違っているのでしょうか。これはおそらく、映画なりマンガなりへの没入度です。小学生の頃は、たくさんあった暇な時間をいくらでも好きなことに使えました。そして他にやることもあまり無かったので、気に入った映画やマンガ、ゲームに深く没入し、細かい部分までなめるように消費していたように思います。つまり、台詞を一言一句しっかり読まないと気が済まないとか、全ての隠しアイテムを出さないと気が済まないといったようにです。深く没入すると早く消費し尽くしてしまってすぐ飽きるようにも思えますが、実際はその逆で、深く没入して微に入り細に入って消費するのには時間がかかるので飽きることなく長く楽しめたし、いつもと同じものであってもそれが“いつもと同じように面白い”こと自体が面白く感じられたのです。「耐久期間」が長かったのは、おそらくそのような深く没入する消費態度をとっていたからなのでしょう。しかし最近では、そうした消費態度をとることは少なくなり、モノへの没入度は明らかに減りました。これは、かなりの暇があるとは言っても昔程ではなくなったことや、消費するモノを選ぶ際に、「観ておくべき」モノや「読んでおくべき」モノといった社会的な評価を受け入れることが増えて、自分のツボにはまるモノだけに耽溺しているわけにはいかなくなった(ような気がする)ことによります。そして、映画なりマンガなりは比較的さらっと消費して、また別のモノに向かうという態度をとるようになったのです。「耐久期間」が短くなった理由はこのようなことだと思います。

 これは不幸なことなのでしょうか。自分の気に入ったモノだけに囲まれた世界に安住できなくなったという点ではもしかしたら不幸だと言えるのかも知れませんが、これをもし不幸だとすると、消費社会に生きる人間は皆不幸だという議論を容認することになりそうなので、不幸ではないということにしておきます。なんと言っても、「耐久期間」が短くなったとは言え、これはこれで楽しいのです。同じく楽しいのなら、いろいろなモノに触れられる分だけ今の方が良い。「いろいろなモノ」の幅は結局のところたいして広くありませんが。

 などと書いてきましたが、実は今でも昔とさほど変わっていないのかも知れません。大学生になってからも、同じ映画を観に何度も映画館に行ったことが何回かあるし、某アニメを繰り返し見た時期もありました。ただ、昔ほど没入することはなかったと思います。と言うことは、ただ単にモノに対する気力や情熱が薄くなってしまっただけなのでしょうか。そんな気もします。その場合はそれは明らかに不幸なことなので、もう少し気力や情熱を充実させることが必要かなあと思います。その気力や情熱が向かう方向性はいろいろと考えないといけないでしょうけど。