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2007年01月03日 (水)

意味の無い好き嫌いの議論(本:2007/01/02)

<読了>
藤原正彦『国家の品格』(新潮新書

この正月に実家に帰ったところ、200万部を超えるベストセラーになった藤原正彦『国家の品格』(新潮新書があったので読んでみました(内容の要約はAmazonに載っている2行分ぐらいで事足りるぐらいだったので省きます)。
本の種類としては、社会学的な体裁を一見とってはいますが、統計データによる検証などのアプローチは無く、本のタイトルにもなっている「国家」という用語の定義についての検討も特になされていないので、社会学の本とは言えません。基本的には、著者の個人的体験によって出来上がった個人的な信念を表明する「エッセイ」と言うべきものです。また、「日本人」に「固有」の価値を見出し、それが「欧米人」などには無い、という議論の進め方は、よくある数多の日本人論と同じです。ただ、文章は非常に上手で、すらすらと簡単に読めました。この文章の上手さと、外交問題や“教育改革”問題で不安感を抱えている人が多い(と思われる)情況に内容がマッチしていたことが売れた原因でしょうか。
論拠が示されていないこういうエッセイに対しては「ははあ、この人はそう思ってるのね」で終了させるのが普通は正しい態度です。明らかな事実誤認以外の個人的な信念については、好き嫌いを議論しても無意味なのと同じく(無意味でも楽しかったりしますが)、反論不可能ですから。でも、これは部数が200万部を超えてしまった本で、ついうっかりこの本を信じてしまう人も結構いるでしょうから、そういう人に冷静になっていただくためにも、ツッコミどころ満載の中から二点だけ選んで文句をつけておきたいと思います。
まず著者は現状の解釈として、「自由」「平等」は「キリスト教原理主義」によってつくられた「フィクション」であり、「国民は永遠に成熟しない」から「民主主義」はその成立前提が満たされない、と言っています。そして、「自由、平等、民主主義」の「論理」に「酔ってしまった」ことが「現代世界の当面する苦境の真の原因」であるとします。
この前半部分については、「だから何?」と言いたい。「自由」「平等」や、成立前提が満たされていない「民主主義」がフィクションであることについては、全くその通りです。もっと言えば、常識です。なぜなら、これは「事実」ではなくて社会制度を構築する際の「理念」であって、そもそもそれが完全に実現されることを期待されているものではないからです。しかし、著者がこの本の中で「世界の人々に伝えていかなければいけない」と言う「武士道精神」も、そういう意味では同じく「理念」であり「フィクション」です(それによってどんな社会制度が出来上がるのかは『武士道精神』をよく理解していないのでわかりませんが)。「自由、平等、民主主義」については、事実がそうなっていないという意味での「フィクション」である、という点をもって否定するのに、同じ意味で「フィクション」である「武士道精神」については逆に称揚するのは理解できません。これでは、「自由、平等、民主主義」を言い出したのが「欧米人」だから嫌、という単なる好き嫌いですよね。反論不可能の無意味な議論です。逆に、そういう好き嫌いのレベルを超えた、実際の社会制度の構築のための議論を、社会科学は長い間積み上げて来ています。その中で、最も「マシ」な理念として「自由、平等、民主主義」が生き残っているのです。この議論の積み重ねを無視して、それが「現代世界の当面する苦境の真の原因」であってこれからは「武士道精神」なんだ、と言われても説得力がありません。
また、著者は提言(?)として、民主主義がフィクションであることに関連して、「国民は永遠に成熟しない」から「国家」のためには「真のエリート」が必要だ、とも言っています。きっとこの「真のエリート」というのは「武士道精神」を備えている人達なのでしょうが、民主主義がダメだと言うなら、一体誰が(どんな制度が)その「真のエリート」を決めるのでしょうか? 全然わかりません。
著者自身が「女房に言わせると、私の話の半分は誤りと勘違い」(11ページ)と(冗談で)書いていますが、残念ながら全くその通りでした。それでも200万部売れたわけですから、これがどのように読まれたのかという点に非常に興味があります。トンデモ本として読まれたのか、真面目な社会学的な本として読まれたのか。それこそ誰か研究して欲しいですね。

国家の品格
国家の品格
posted with amazlet on 07.01.03
藤原 正彦
新潮社
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投稿者 enyu : 03:38 | コメント (2) | トラックバック